Wanpaku Magma's Blog

愛車と写真。たまに仕事の事を綴ります。

5.3仙台ツーリング(復路)

5月3日。相変わらず天気ははっきりせず、明るめの曇り…。たまに青空、たまに小雨。

よく使うお天気アプリの雨雲レーダーには雨雲の存在は確認できないが、区間区間でたまにぱらつく。

朝、ハヤブサ君とは出発時間が異なるため、一足先に出発。さて。帰るだけなんだけど、どこか行ってみようかな。まだいった事のない松島へ行ってみようか。出発の時はまだ7時。12時間後ぐらいに家に着いてればいいや、ぐらいの気持ちで。

さて、どういくのかなとナビとにらめっこ。県道27は海沿いを松島のほうまで行く道。これで行ってみよう。宮戸島っていうところまで行けるみたい。行く途中、海に浮かぶ島々がきれいだったなー。こちら側からは小さく見えるあの島々は津波を喰らったのだろうか。大丈夫だったのかな。などと考えながら走る。この道を走っている限りは、津波に襲われたとは思えないような感じだった。復活させたのだろうか。ちょっとした田園地帯を走っていると、シールドに雨粒??今日は雨は降らないと思っていたが、なんだろ?通り雨でしょうと深く考えもせず。そして、宮戸島へ。とある海岸沿いから見える小島に小さな鳥居を発見。鳥居の向こうには社ががあるもんだと思っていた私はバイクを停めて、どんな社があるのか興味津々で眺めてみるも、社は確認できず。ただ、その鳥井がとてもきれいに見えてて、バイクとパシャリ。

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さて、次は元同僚が営んでいる鉄板焼きのお店へ行ってみよう。宮戸島から塩釜へレッツゴー。ここ塩釜の地は5年前に訪れている。今年でちょうど10年。前回来た時はこのお店の目の前のホテルに泊まったんだっけな。今日はコロナの影響で休業している事は知っていたが、どうしてもお店が見てみたくて訪問。やっぱり閉まってるわ。

 

今年、どうしても今年中にこのお店で酒を飲みたい。5年周期でここを訪れたい。そんな風に思っている。その時はもちろん1人で来るつもりだ。

営業していないお店をじろじろ除いても怪しまれそうなのでそそくさと撤収。さて、どうしようか。帰る道は決まっている。なるべく海岸沿いの道。これが条件。それだけ。

さあ、太平洋を左手に見ながら南下するとするか。とあるコンビニで水分補給とトイレを済ませて、ニコチンを補給。なんだかんだいい天気ではある。お天気アプリ起動。雨雲レーダーには向かう先で雨雲に遭遇する感じになっている。また雨かよ。後で降り出してから着るのも面倒なのでここで着てしまおう。さあ、折り返しだ。

適当にナビで海岸沿いの施設を目的地に設定してなるべく海沿いルートを選択。

暫く走っていると、空港が。仙台空港だ。こんなとこに空港があったんだね。当時ニュースでみた、被災した空港だった。米軍の輸送機が津波で泥や砂などが堆積した滑走路へ、構うことなく着陸したあの空港。あの時の映像、驚いたな。頼もしかったな。その後、ヘリで救援物資を配って回っていた米軍。校舎などの屋上やら、すごい場所に着陸や低空ホバリングで物資を届けて回った、トモダチ作戦でしたっけ?普段戦地で銃弾が飛び交う中任務を遂行している彼らからしたら、銃弾が飛んでこないから楽勝なのだろうかと想像した。空港を右手に見ながらやけに整備された道をいく。相変わらず左手には海。少し高くなっているこの道は、防波堤の役目も担っているんだろう。

そんな道の途中に、何やらおかしな雰囲気の建物が。明らかにおかしい。けど、なんだろ。やけに整備されていそうな。建物だけがおかしい。トイレに行きたかったので、ちょっと寄ってみた。

 

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そこは、被災した小学校だった。当時の姿を残しているそうで。言葉がでませんでした。

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職員室って書いてあったかな確か。これでもまだ「マシ」な姿になってるんでしょう。当時はもっとすごかったはずです。

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この土地を2mかさ上げしたおかげで、屋根部分の水没を逃れて助かったそう。この学校を建てる際に、どなたかが進言してそれが実現したそう。画像右の青いのが津波の高さ。あの位置まで水が。普段川でも海でもないただの陸地ですここは。

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これ、金属です。巻き付いてるやつ。

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水が流れた方向が分かる資料との事がかいてありましたけど、それよりも津波の圧倒的な力にただただ驚かされるばかりでした。普通、ありえませんからね、普通は。

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なんですかこれは。こんなことが起こったんですか。現実におきたんですか。映画の世界の話じゃなくて、現実に、この世で起きたんですか。

恐ろしい。本当に。しばらく立ち尽くしてしまった。

 

こんな圧倒的な力で襲われて、成す術ががない現実に直面した人々が、復興して立て直し、後世に伝えてようとしている。自然の力もすごいけど、人々の力もなかなかなものじゃないか。と考えなおして再出発。すごいパワーだと思う。被災した方々って。本当に。津波のすごさを思い知り、人々の、復興の力をさらに感じることができた。

 

トイレも済ませて、出発。そうすると、見覚えのある風景に変わった。そう、5年前に仙台へ向かうときに通った道だった。小学校があって、少し広くなった道のとこに自販機がたくさん並んでいるこの場所。前回はここで休憩したんだ。暑かったなあの時(笑)そこに到着するまでに、被災した家屋、べこべこになってひっくり返ったりしていた車両なんかがあったんだよな。という事はこの先はそれらがあった場所。少し、緊張しながら進んでいくと、少しだけ当時のままであろう家はあったけど、車両はなくて、キレイな家屋が立ち並んでいたりして、新しい舗装の道になっていたりして、復興されているということを肌で感じることができた。さらにその先は、当時ただの更地だった場所にソーラーパネルが敷き詰められていたり、水田となっていたり、盛り土があったりまさに復興中といった景色が。真新しい道に変わったかと思えば、ロータリー式の交差点や、きれいな公園なんかもあり、5年前とは全く違う景色に。人の力を肌で感じられるパワースポットのようだと感じた。やっぱり人の力ってすごいな。

 

そのあと、給油のため国道6へ。あとはこのままこの道で南下かなー。と。雨の心配もなさそうだし。そろそろカッパ脱ごうかな。この時は晴天。お天気アプリにも雨雲の影はナシ。 昼飯はコンビニのイートインで済ませよう。

ということで、6号を通り過ぎていくバイクを眺めながら、久々にタバコに火をつけて一服。ここのコンビニも見覚えがあるな。なんとなく覚えているもんなんだな。

そこへ友人NからLINEが。明日の釣り準備の件…。しまった。忘れてた(笑)明日行くから今日店に行って準備しないといけないじゃん(笑)

色々やりとりをして、18時ぐらいまでには高速を使えば家に帰れる。店は21時閉店。大丈夫という事になる。友人へは高速で帰ることを伝えると、「急がなくていいから」と優しい気遣い。私がぶっ飛ばして帰ろうとしていることをよくわかってらっしゃる。こういう気遣いが出来るってすばらしい。いい友をもつことができた。

 

常磐双葉ICから一気に…といいたいところですが、あまりに退屈すぎて、途中茨城の岩間で降りてしまう(笑)

そこからは普段のルート。

 

2日間の総走行距離はおおよそ840キロ。

 

今回は雨の高速、強風の高速。

天候に翻弄され続けたツーリングでした。

 

我が愛機XJR1300は少しもぐずることなく走り続けてくれた。

頼もしいなあ。

 

今回も無事に帰ってこれた。ありがとうございました。

 

さて、釣具屋へ。あ、やさしいNが迎えに来てくれるってさ(笑)

 

今日のお話はここまで。