オリンピックのたびに思い出す
4年に1度。だいたい開催されているオリンピック。
今年のオリンピック、開催にこぎつけるのになかなか大変だったのではと思う。
どのオリンピックでも開催国では必ず反対派はいるんだろうと予測はできるけど、世界的にコロナ禍。開催の是非を問う声は日本だけでなく世界中、あらゆる分野から多かったのではないだろうか。
一個人としては、開催するならうれしいし、開催しないのなら残念だなという程度の感情しか持ち合わせてないけど、開催しない場合、どれだけの選手を含めた関係者の努力が無駄になるのかなとか、何より、そこに懸けてきた選手が…。と思うと辛いものがある。4年に1度。4年後にまだ現役でいられる?とか。そう考えると、開催してあげて欲しい。学生時代、所属したいた部の監督が全日本の監督でもあったため、全日本チームとの合同練習が多くあった。合同でなくても共に練習する機会が多くあり、身近にそういった選手の姿を感じていた。そういう姿を少し知っているから、むげに反対ともいえないのかなと思う。。
いま絶賛開催中で盛り上がっているオリンピック。競技をテレビ放送するにあたり解説者がつきもの。
私が行っていた競技の解説者が、学生時代の監督な事が過去多くあった。今年はどうなるかわからないけど。引退して以来、毎回毎回あの声を聞くたびに、テレビの前で正座してしまう(笑)勤めている会社の社長よりおっかない(笑)聞くだけで身が引き締まり、姿勢を正さざるを得ないあの声…。目覚まし時計からあの声が聞こえたら寝坊とは無縁の生活が送れるはずだよ…。
学生時代に刷り込まれた記憶はそうそう覆らない。絶対的支配だよほんとに。
そんな感じで、オリンピックイヤーになると、学生時代の部活漬けだった日々を思い出す。しかもこの暑い時期の練習の時を。
同期のみんな、先輩、後輩、監督、コーチ。元気で過ごしているかな?会いたいな、○○先輩には会いたくないなwwとか。特に同期と、練習パートナーであった先輩方を強く思い出す。肉体的、精神的にぼっこぼこにしてくれた先輩。それを支えあった同期の仲間たち。4年間だけ合宿所で寝食を共にして練習を共にして支えあった関係。なんという分類に区分されるのか。友達?親友?パッとしないなあ。兄弟?いや違う。仲間?うーん。どれも私の中では当てはまらない。ことさら同期は『あいつら』と呼ぶのが一番しっくりくる。先輩にはそんなこと言えないよ?先輩は先輩!せんぱい!
私が行っていた競技は対人競技。必ず相手が必要。練習でももちろんそう。私たちはその相手をパートナーと呼んでいた。私の練習パートナーは2コ上の先輩。当時はとても恐ろしく、よくぼっこぼこにされていた。弱かった私は何から何まで否定され、血尿が止まらなかったほど。当時は本当につらくて、辞めたいと思った事は1度や2度ではなかった。よくもまあ耐え続けたなと、今でも思うが、それ以上に仲間からもらうプラスの何かが大きかったのだろうと思う。それと、厳しい中にもちょっとした優しさがあったりもしたパートナー先輩。いろいろ教えてくれたパートナー先輩。応援してくれたパートナー先輩。叱ってくれたパートナー先輩。思い返すとボコられただけではない。あんな強い先輩のパートナーとなれた事は、一生の財産。当時はさておき、今では感謝しかない。
そのパートナー先輩。当時から頭がキレるなって思わされることが多かった。物知りだなとか、よく感じてた。単位を落としたとかも聞いたことがなかったので基本的なスペックが高かったのではと。
そのパートナー先輩は今は新日のプロレスラー。年齢的にもう全盛期ではないとは思うけど、いまだ現役。社会人になって、いちどだけ電話で話したことがある。元気か?いろいろ大変だったみたいだな。体は大丈夫なのか?と.。私が事故って長期入院、退院した後だったんだよな確か。気遣って電話くれたんだよな。素直にうれしかったよ本当に。
そんなパートナー先輩のことをたまにネットで調べてみたりもする。相変わらずの強面(笑)かわってねーなあwww
今回久々に調べてみたらいろいろ本を出してるみたい。あの先輩が。とりあえずやってみようっていう感じ、当時からあったと思う。やってみて合わなかったらやらない。こうやるから、こう喰らってみてくれ。みたいな。こうしたらどうすか?とか、出来る部分は協力してみたりもした。そんな先輩の本、ちょっと読んでみたいなと。タイトルがタイトルだったので、タメにはならないのだろうけど、そんなことない。あのみてくれで、案外謙虚なことを私は知っている(笑)
まあ、結局、オリンピックが始まると、学生時代の部活をあれこれを思い出し、先輩が本だしてるから買ってみたよっていう話。
たまにはバイクネタ以外もいいじゃない。